3年。
亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りすると共に、
今も厳しい状況の中で暮らしていらっしゃる皆様にお見舞い申し上げます。
今日は珍しく、というか初めて 告知以外の事を書きます。
僕は東京都三鷹市で生まれ、3歳からは千葉県で育ちました。
僕の母は釜石の出身で、伯父さんや従兄弟は今でも住んでいます。
震災直後、釜石は一般人が参加できる活動が(僕が知る限りでは)なく、親戚が探している物資を調達して送る事しかできず、ほとんどの方がそうであったように何事も手につかない日が続きました。
ようやく受け入れ態勢が整った頃には自分の仕事のスケジュールもあり、初めて釜石にボランティアで入ったのは7月だったと記憶しています。親戚の家を訪ねつつ子供の頃、夏ごとに遊びに行った海岸や戦慄を覚えずにはいられない風景の数々に 恐れとか悲しみ というより 感情が希薄になるというか 現実感を失ってしまったのを覚えています。その当時すでに数ヶ月が経過し、ニュースは頻繁な特集こそあれ明らかに社会全体が落ち着きを取り戻しているかの様な錯覚、違和感。
自分はいったい何ができると思って、ここに来たんだろう??
母が育った街 僕が好きな街
書きたいことはたくさんあったけれど、書けませんでした 書きたくありませんでした
その事を歌いたくもなかった 人にも伝えたいという気持ちも起こらなかった
3年。
国の将来、政治 据え置けない問題が山積みの毎日。
あまりに意味を考えたら、何もできない
歌に大義はいらない 格好良さもいらない
本当に悲しいけれど失われたもの、今のこっているもの、生きている人
時間はかかると思うけど、
少しずつ自分にできる事をしながら 自分のことばで歌っていけたらと思います